昭和56年、当時の弘前大学助教授・松木明知氏は、日本最初の全身麻酔医手術は、1689年、琉球王国の医師、高嶺徳明によって行われたと調査、発表し、医学界の注目をあびました。これまで日本初と言われた、1804年の紀州和歌山の医師、華岡青洲の手術よりさかのぼること115年前になります。
幼少のころから語学の才能に秀でていた徳明は、総官という進貢船の事務職をつとめ、中国と琉球を往来するという生活を続けていました。
当時、国王尚貞の孫・尚益は、生まれながらの欠唇の持ち主でした。
徳明36才の時、福州で中国人医師・黄会友(こうかいゆう)が補唇治療を行っている事が進貢使節の耳に入り、中国語を完璧に理解する徳明に、補唇の技術を取得することが命じられます。徳明は黄会友に懇願して弟子入りを果たし、秘法と秘伝の巻物を授けられて帰国します。
1689年11月に、尚益の手術をとり行いました。手術は大成功で、尚益の子供ですら傷跡に気付かなかったと言われています。
『琉球王国 人物列伝』より抜粋