尚敬王の治世は琉球のルネッサンスとも第ニ黄金期とも呼ばれる。今に伝わる文化芸能の多くが生み出された時代である。 尚敬王十二歳の時、その師に任命されたのは琉球随一の政治家・蔡温(さいおん)であった。実学主義のその教えに感銘を受けた王は、終生彼を側に置き重用したため、蔡温もその辣腕を遺憾なく発揮し王国の中興期をみごと実現させた。
同時代には、高名な教育者・程順則(ていじゅんそく)や組踊(くみおどり)を創作した芸能家・玉城朝薫(たまぐすくちょうくん)、和文学を大成した平敷屋朝敏(へしきやちょうびん)など、多くの傑物が活躍した。農民の女性・恩納(おんな)ナビが即興詩を王に献じたのも、尚敬王が北部巡幸を行った時だという。
尚敬王は小国が生き残る術として教育と文化振興に意を注ぎ、適材適所の人材登用で琉球を文化大国へと導いた近世の名君であった。
「わが身つで見ちど よその上や知ゆる 無理するな浮世 なさけばかり」 尚敬王
(わが身をつねってみることで、他人の痛みも知る事ができる…)尚敬王作のこの琉歌は、時に政敵に対して苛烈な制裁を加える蔡温を諌(いさ)めたものであるとも言われている。